アイドルとエゴ


私は昨日のブログで、沢田研二という人に特別な思い入れがないので雑な扱い方をしましたが、彼の容姿の問題だけを取り上げたようにも読め、その点本意ではないので、少し補足しようと思います。


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私は沢田研二のステージを観に行ったことがある。
あれは確か90年前後の渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)。バックバンドのベーシストに吉田建さんが入っていて、その建さんファンだった友人に誘われたのだ。彼は当事「いかすバンド天国(イカ天)」という素人バンド勝ち抜き合戦みたいなTV番組の名物審査員として人気があった。彼のコメントは中途半端なことをしている若造たちには辛辣だったが、いつも的を得ていたし、何より音楽に対する愛情に溢れていて職人カタギなところが支持されていた。
そして、その彼のサポートするのが沢田研二ということで、彼の70〜80年代前半の黄金期を知る女子としてはかなり期待して観に行ったのだ。


が、そのコンサートはどうにも淋しいものだった。彼の歌自体はすばらしかったが、結構長いMCのほとんどが愚痴だったのである。
自分のように実力のある歌手が今流行りの「イカ天」バンドブームのおかげで浮かばれない。という愚痴をその審査員をしている建さんの前で延々とし、あんなのどこがいいんでしょうねえ、という彼に、前の5列くらいを占めていた彼と同世代と思われる熱心な女性ファンたちだけが「そうだそうだ」と拍手喝采。他の観客は置いてけぼり。スターによるエンターテイメントは彼自身によって、明らかにその華やかさに水を差されていた。


「等身大のアイドル(スター)」というのは言語矛盾だと思う。
ありのままを見て欲しい、本音を聴いて欲しいと等身大の姿=素の自分を愛してくれというエゴを見せたところで彼らはアイドルでもスターでもない何か別の存在になるのだと思う。ファンの夢や妄想で作り上げられた偶像としての本来の神通力は消え失せてしまうと思うのだ。


アイドル(スター)にミステリアスな存在であって欲しいと思う。
本音は見えそうで見えない「チラ見せ」が基本である。努力なんかもできれば隠して涼しい顔をしていて欲しいし、女性関係なんかもできれば知りたくない。
これは多分古い世代のアイドル観だと思うけど、それでも私生活を売り物にするのが当たり前の時代に、まだ頑なにそれを拒み続けるジャニーズが人気を得られるのは、まさにその最後の一線を守り続けているからだと思う。
見えないから想像する。自分の想像の中で練り上げられ足りない部分を肉付けされた偶像は当然自分にとっての「最高のアイドル」であり、その現実では得られない完璧さに乙女は酔う。実体なんて実は見ちゃいないのだ。アイドル本人が目の前に現れても「本音なんか吐いて私の夢を壊さないでよね」と彼女らは言うだろう。


そういう意味では沢田研二という人は自ら「降りた」のだ。その偶像という存在のトップから。何故だかは知らないし、特にそう宣言したわけでもないだろう。ただ、私がたまたま目撃したその言動に於いて、そしてその頃から体型を気にしなくなったという事実から、そう想像した。
もしそれが当たっていたとしても、彼には全く責められるところはない。彼の生き方がそうだというだけ。そして、昨日もそしてさっきも書いたように私は「個人的に」アイドル(スター)にはそういう「降り方」をして欲しくない、と言っているだけだ。
彼の人格の否定ではない。好みの問題。私は多分なんだかんだ言って、郷ひろみや東山くんみたいなアイドルバカ一代的生き方をしてる人が好きなのだ。


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