縁を結いに三輪山へ


私の買った「縁を結いて」通常盤、ジャケは三輪山からの眺めでしたが、昨日図書館で借りてきた(ウチの町の大学には東洋文学科があるんで日本語の本もけっこーある)万葉集を見ているとこんなものがあった。


<天皇の香具山の登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌>
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立て 国見をすれば 
国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


大和には山が沢山あるが 特に立派な天の香具山に登って国を見渡せば
広い平野にはかまどの煙が立ち上り 池や河には水鳥が飛び交っている
ほんとうにいい国だね 蜻蛉島の この大和の国は


これを歌った舒明天皇の、春霞(私の個人的なイメージですが)の中に浮かぶ美しい大和の国を眺める温かいまなざしや息づかいが感じられるようですねえ。(泣)
が、実はこの<国見(望見)歌>というのは、当時天皇が「こうあって欲しい」ことを歌うことで現実となることを願う、つまり言霊信仰の儀礼だったのだそうで。美しいはずです。(笑)
でもきっとほんとうに大和はかくも美しいところだったのだと思いますよ。舒明天皇の世は天変地異が多かったそうなので、そんな風景が守られますように、という歌だったのでありましょう。

(ちなみに私の中の「日本の原風景」は♪菜の花畑に入り日うすれ 見渡す山の端かすみ深し 春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて匂い淡し♪というあの童謡。これを安田姉妹なんかに歌われた日にゃあ号泣する自信があります)


この歌に歌われる「大和の国」はまだ奈良盆地の中南部という限られた地域だったのですが、その当時「神の住まうところ」として、また人々の自然への感謝や畏敬や畏怖の対象であったのが三輪山なのですね。そう、あそこが日本のはじまりであり、魂の拠りどころであり、いわば「縁の結いはじめ」の場所なのです。


4月に近鉄電車の中に貼られた「縁を結いて」の広告コピーの一部。


  そう、遥か太古の日本人も同じことを感じていた。
  大いなる自然に感動し畏怖し、純粋に祈りを捧げていた我々の先祖たち。
  彼らはそこに何を見たのだろう。
  彼らは何を畏れ、何に感動したのだろう。
  彼らが信じたものや、彼らの想い。
  現代に残された彼らの数々の足跡を辿る時、僕は太古の人間になる


三輪山、やはり行かねばなるまい。ソーメンも待ってるし。


あ、そーだ。今日5月5日は20年前堂本剛・光一のおふたりさんが初めて出会った日なんだそうで。おめでとうございます。末永くお幸せに。