「思い出す」ということ


糸井重里という人がいる。
知ってる人は多いと思うけど、コピーライターで「ほぼ日刊イトイ新聞」の主催者でもある。彼がこんなことを言っていたのが目に留まった。


じぶんが死ぬのも、「ともだち」が死ぬのも、
よその「じぶん」を殺すのも、よその「ともだち」を殺すのも
ぜんぶ不幸なことだ


その後、剛の「縁を結いて」について語ったインタビューを何本か読み、彼が言う「今の日本はシステムやルールに惑わされているだけ。心臓のビートが高鳴るという絶対的な事実を忘れている」という言葉にもまたしみじみと頷く。


彼の言うように日本社会は細かいローカルルールでがんじがらめだ。
そのインタビューを読んでいるだけで、こちらにもその閉塞感が伝わってくるようで息苦しくなる。それは昔からあったことだが、景気が悪くなって更に悪化したんじゃないかと、日本に帰るたびに感じる。
こちらでも、たまたま知り合った日本企業の駐在員の奥さんたちと話していると、なんとなく緊張してしまうことがある。それは、「さりげない気配り」のために、おしゃべりをしながらもみんながその場の「空気」に対してものすごいアンテナを張っているのがわかるからだ。
皆でどこかに行くという話になろうものなら、幹事さんは見てて気の毒なくらい気を遣って時間をかけてひとりひとりの意見、都合を聞き出し、「最大公約数」を割り出す。そこには「皆で行きましょうね」という柔らかな拘束とでもいうようなものも感じられ、「個」というものを主張できない空気が漂う。


こうやって日本の「常識」という名のローカルルールは、ときに「思いやり」とも名を変えて、小さなストレスを皆で共有することを強要する不幸の連帯責任システムみたいなものになっているような気がする。
誰も傷つかないが誰の胸も高鳴らない。そんなルールを必要悪と割り切れる人を日本では「大人」と呼ぶ。


私はそういうところからは落ちこぼれた人間だ。
好きなものを「好き!」と言える場所を探しながら、遠い太鼓に胸を躍らせ歩いてきたら、いつしかこんな見ず知らずの土地にいた。
個人主義のこの地では誰もかゆいところに手が届くような気の遣い方はしてくれないが、その代わり干渉もしてこない。だが、移民も多いから共通の「常識」なんてものはない。あるのは人種民族宗教の違いが織りなす様々な価値観のカオス。そんなところにいると日本の「常識」がどんだけローカルなものなのかということに気づかされる。
そこで必要なのは、今まで積み重ねてきた「常識」を洗い流し一旦「素」に戻ること。そしてそこから少しずつ大切なことを思い出しては肉付けし、自分なりのルールを作っていく。


糸井さんの言葉にはこんなのもある。


じぶんとは子どものじぶんである
大人のじぶんは、じぶんがつくったじぶんである


自分もともだちも殺さないで生きていくことはそんなに難しくないはずだ。剛っさんの言うように「思い出す」ということで取り戻せるものって多いんじゃないかと思う。