Fashion & Music Book再開


久しぶりに再開した2日の「堂本剛とFashion & Music book」、天河神社で「縁を結いて」を書いてレコーディングした顛末と、Mステでの「涙目」の訳を話してましたね。


《 親孝行を兼ねてたまたま出かけた天河神社。弁財天を見て涙を流す母親を見て「理屈ではないもの」が書きたいと思い、すぐに能舞台の上でパソコンを開いて「降りてきた」歌詞とメロディを一気に書いた。歌詞は家で手直しをしようと思ったが、詩(うた)にしよう詩にしようと思うと辻褄が合わなくなるし、理屈や欲が入るとバランスが悪くなるのに気づき、結局ほとんどそのまま使った。
「くに」という言葉を使ったが、それはもし神様がいるならそういうものに「書きなさい」と言われた気がした。歌も「ここ(神社)で歌いなさい」という声を聞いた気がしたので、宮司さんに頼んで弁天様を見ながらレコーディングをした。普通なら雨音とか車の音とか虫の音とか入ってしまうが、その時になったら風がパタリと止んで雑音が全く入らなかった。祝詞を上げるかんじで歌ったらOKテイクが出た。
その後いろんなタイミングが合わず、結局4月6日のリリースが決まったのは去年の12月。
そして3月11日、震災が起き、HPに「縁を結いて」の歌詞をアップして奈良に行き、この曲が日本を救うきっかけになるよう祈った帰り道、25日のMステ出演が決まったとの報せを受けた 》


というのが、この曲にまつわる「縁」だそう。
「こっちへ行こう」と決め歩き出した瞬間に目の前のドアがスッと開く、そんな度重なる「偶然」によって、彼は大きな存在に背中を押された気がしたと同時にそれが単なる「偶然」なんかじゃなく、自分が何かに導かれていることに確信を持ったのだと思う。


《 地震のあと、無力感を感じいろいろ思っては泣いた。それは人々の感情が自分に飛び込んで流れた涙で、理屈ではない涙。Mステでも泣きそうになったけど、ここで自分が泣くのは違うと思って堪えた 》


こうして様々な事情からこれまでリリースされることのなかったこの曲が、2年半の時を経て今このタイミングでリリースされるというのはやはり必然というものなわけで。
現在の日本という背景があるからこそ、「美(うるわ)しきくに」というフレーズからひときわクリアな再建のイメージが立ち上がり、聴いた人が小さくとも確かな希望を感じてくれたら、それが堂本剛の言う「縁を結う」ということなんでしょう。