男の涙と「縁を結いて」


「縁を結いて」、今夜ミュージックステーションで初披露されるらしいと知ったものの私はリアルタイムでは観れない・・・でもせめて聴きたい。迷った挙句、私の剛愛を知る数少ない友人のひとりに電話。
「テレビ観てる?ミュージックステーション、観ない?私と」。
で、電話越しに聴きました。何やってんだ、自分。
でも、いつもはフルコーラス歌わせてくれるMSも今夜は特別構成になっていて、残念ながらワンコーラスのみ。某動画サイトに昨日からupされてたものと(これはどこで流されたんだろう?「どんなもんヤ!」?)あまり変わらなかったなんて、残念すぎるだろっ。


と、たった今既に動画サイトにそのMS画像がupされていたのを発見!
やや憔悴しているように見えると思ったら・・・泣いてますね、剛っさん。いきなりトーク部分から。歌い始めても時折声が上ずりそうになる。ここぞとばかりにカメラが寄る寄る。こんなアップ普通しないっしょ。
うー、ダメだ。おばはんは男の涙に弱い。


先週、歌詞を見た時に「これはテクノじゃあるまい」と確信した音に関しては、思ったとおり剛紫路線そのまま。って言っても同時期に書かれた曲なのね。
でも、何と言うのかな、彼の書く曲はいつも詞に重心が置かれているけど、この曲は特に「詞」がより「詩」化している気がする。そこにそっとピアノが寄り添い、鈴の音が響く。まるでシンプルな言葉の環境音楽。80年代の英国にRichard Jobsonというアーティストがいて、当時よく聴いていた彼の詩の朗読アルバムを思い起こさせる。
この「縁を結いて」に於いても、メロディーはあくまでも詩のリズムを際立たせるためにあり、剛の声は詩に命を吹き込むだけのためにそこにある。


実は最初に詞を読んだ時、ブログにも書いたように「天から降りてきた言葉を紡いだように美しい」と思ったものの、若干散漫でメッセージを訴える力が弱いんじゃないかとも思えた。
が、しかし、こうして彼が歌うことで、その力強さにアッサリと説得されてしまう自分がいる。暴力的なほどの説得力。その涙は反則としても。