螺鈿紫檀五絃琵琶の旅


「FUNK詩謡夏私乱」のチケットを見せてただいた。
大和色を使ったシンプルなデザインにどこか懐かしさが漂う。墨黒の背景に、利休鼠いろの洋梨形をした楽器のシルエットが浮かんでいる。正倉院所蔵の「螺鈿紫檀五絃琵琶」だ。


インドから中央アジア経由で唐に入り、遣唐使によって日本にもたらされたと言われるこの五絃琵琶には、「ラクダの背で琵琶を弾くペルシャ人」が描かれている。
砂漠を行き交う東西の商人たちは、遠く遥か東方の飛鳥京や平安京を「シルクロードの東の終着点」と呼んだ。私たちが今見ている東大寺の大仏や興福寺の阿修羅像、薬師寺の東塔などは、彼らが運んだ西方の文化を積極的に取り込んで作られたものだ。こんな背景を想うと、琵琶法師の語る平家物語にも急に大陸の砂漠の乾いた風を感じてしまう。


今日「日本文化」と呼ばれるものも、古の大和の地に育まれた感性といくつもの異なる感性が溶け合うところに始まった。
現代の日本人がどこか郷愁を感じる「島唄」も、航海時代に奄美大島などに流れ着いたポルトガル人の歌う「ファド」から影響を受けたという説がある。だが、そのファドも歴史を辿ればインドから流れて来たロマの音楽の影響を受けているというから、それが遠い昔から日本人の中に既に刷り込まれていた「懐かしさ」を呼び起こすものだったのかもしれない。


様々な文化が混血を繰り返しながら陸を海を渡って「東の終着点」にたどり着いた。そこに住む好奇心の旺盛な人々によって独自の洗練をほどこされたそれは、今なお混血を続け、ハイブリッドな進化を遂げている。
剛さんが、東西様々なオリジンを持つ楽器を使い、遠く海を渡った音楽を、大和の言葉を乗せて奏でる21世紀のNIPPONの音。それは「くに」というものは国籍でも人種でもない、その響きを懐かしいと感じる人々が形作る共同体なのだと教えてくれる。


そのDNAを遡る旅へのチケットには1300年前のペルシャの楽器がプリントされている。
遥かな時空の旅へようこそ。