Fashion&MusicBook 「和する」ということ


昨夜のF&MBは、たまたま私が考えていたことと重なることが話題になっていたので、その部分を。


21歳、NYに留学中の方からのメール。
< 留学して3ヶ月。最初、クラスでただひとりの日本人で不安だったけど、国や人種を超えて沢山の友人ができた。最近、「ラマダン」というイスラム教の慣習に挑戦した。日が昇って沈むまで水やガムすらも口にできないこの断食の期間は、飢えている人の気持ちを理解するためにあるんだと、サウジアラビアの友達が教えてくれた。そういえば、生まれてからそんな経験はしたことがないな、と深く考えさせられた。誕生日の10日前が丁度ラマダンの始まりの日だったので、21歳最後の10日間、思い出としてやることにした。ここは日が長くて、日没が21時頃なので友達も辛そうだったけど、何とかやり切って、とてもいい経験になった。


ここにいて感じるのは、国同士がうまくいってなかったり、戦争をしていたりすることとは関係なく、言葉やアイコンタクトで気持ちが通じ合い、皆が友達になれるということ。ルームメイトの中国の子と恋愛の話をし、共感して笑い合ったりして、世界の言語がひとつだったら、話し合いで済む問題もあるんだろうなとか、日本の文化をもっと広めたいなとか、今まで考えたことのなかったようなこと考え始めている >


剛さんも、「海外で仕事をして同じようなことを感じた。今、だから日本人のフレーバーを作品に込めたい」、と言う。


私はこの方よりずっと年を取ってから留学に行ったけど、驚くことは同じだった。
いろんな文化圏から来ている人がいて最初は戸惑うこともあったけど、毎日学校で顔を合わせているうちに、「慣習」とか「宗教」の違いから来る違和感などすぐ消え失せ、「人」としての付き合いになっていく。外国人の友達に言われた言葉や、教えてもらっていたく感銘を受けたことは、よく考えると日本で百万回言われて「そんなことわかってるよ」と思ってたことだったりしたものだ。
ちょっとした視点の違い、方法論の違いを知ることで、「常識」が少しずつ塗り直されていく。多分、剛さんもそれまで当たり前だと思っていた日本の美しさを外から眺めることで改めて気づいたんだろう。


日本人が大切にする「和」。この「和する」という言葉、本来は「自己の主体性を持ちながら違う考えの人とも協調する」ということで、決して「同じものだけの集合体」のことではない。ただ長いものに闇雲に巻かれて同調することが「和」ではないのだ。
それは相手が外国人でも日本人同士でも同じこと。ただ、日本人同士だと「同じで当たり前」と思いがちで、かえって「違い」を認められないことも多いのかもしれない。やっぱり環境が許せば、若い人たちにはできるだけ「外」を見に出かけて欲しい、そしてできればそこで友達を作って欲しいな、とそんなことを下記のブログを読んで考えていたところに、昨夜のラジオがあった。
世の中がグローバライズされればされるほど、価値観が多様化すればするほどに、「和して同ぜず」の「和」が必要になってくる。信念を持つことと寛容になることは矛盾しない。


反日デモ最大級のあの日、僕は北京日本大使館の前にいた。
http://inkyodanshi21.com/asia/china/2522/