Mステ 堂本剛「I LOVE YOU」


今夜の剛さんの「I LOVE YOU」、なんだかすごいものを観てしまった気がする。


ラジオで初聴きした時は、その声に過ぎ去った日の傷ついた自分自身を優しく包み込むような柔らかな自己愛を感じた。が、今夜の彼は一切の自我を消し去ったかのような透明な存在で、あの曲を「依り代」として集まる想いにひとときの居場所を与える役目を静かに果たしていたように見えた。


尾崎という人のことを私は詳しくは知らない。当時の私には、彼の繊細で生真面目で暑苦しいほどの真っ直ぐな表現はなにか照れくさくて苦手だった。その彼が軽佻浮薄な80年代に現れた「10代のカリスマ」とか「若者の教祖」とかマスコミに騒がれ始め、その世の中の巨大な期待を全部背負い込んでなお何かと闘おうとしている姿は、私にはただただ気の毒に映った。その中で彼は次第に精神のバランスを崩していく。覚醒剤、不倫報道。そして、1992年4月25日が来る。
友人たちと公園通りを歩いていると、すれ違った女の子が大きな声で「尾崎豊、死んだんだって!」と言い、周りの人が一斉に彼女を振り返った。それは誰にとっても大きなニュースだった。その時の光景と痛く苦いショックを私ですらまだ覚えているほどに。


彼の想い入れの大きかったという「I LOVE YOU」。
17歳の時、ファーストアルバムを録音中に「もう1曲バラードが欲しい」と言われてその場で歌い出したもの。彼の中にいつもあったイメージだったんだろう。でも歌詞を読むと、「I LOVE YOU」という愛の言葉の後ろには大きな孤独が口を開けている。どんなに抱きしめあっても癒えない孤独、憤り、不安、焦燥。結局彼が最後まで抱え続けたものだ。


その曲を歌うことを剛さんはこう語っている。
< I LOVE YOU、あなたを愛している、というシンプルなメッセージだけど、尾崎さんしか描けない、尾崎さんが歩いて来た中で出て来たもの。カバーさせていただくのも迷った。心で尾崎さんに届くようにとか、ご縁とか、尾崎さんが生きた、生きている時間軸に手を合わせて歌おう、と思い、頭で考えないで、とてもとてもまっすぐに歌わせていただいた (Fashion&MusicBook)>
< 尾崎さんがどういう想いで「I LOVE YOU」っていうこのリリックを書いたんだろうな?ということだったり、この方が人を愛した時は、こういう表現で愛を歌うんだなということだったり・・そこに対して”俺の場合はこう歌うよ”っていうカバーアルバムは作りたくなかったんですよね。ご本人と実際にお話できなくても、歌詩とオリジナルのアレンジを聴くことで、どんなことを伝えたかったのかを僕なりに汲み取って、その感情に寄り添うカタチで歌えたらそれが一番いいんじゃないかって(Miss Plus) >


今夜あの曲に集まった想いの中には確かに尾崎豊の眼差しがあった。残して来てしまった愛する家族への想い、自分自身の人生への惜別の想い。時に消え入りそうに儚く、囁くように歌う剛さんの声が怖いほどの深い孤独と悲しみに満ちていた。


「誰かを愛するとハッピーなはずなのに、何故切なくなるんだろう?」と言った尾崎豊と堂本剛という人はとても似ている。ずっと年下の剛さんが影響を受けた、と言うのは簡単だが、それよりもなにか「同じ魂のルーツ」を持つゆえの相似形という気がする。今夜あそこでは剛さん自身の想いもまた他の多くの想いとともにあの曲に静かに寄り添っていたはずだ。これからも愛を歌い、闘いを続けていく者として、深いシンパシーと共に。