Let's feel "縁"


「K album」に収録された「いのちの最後のひとしずく」と「ラジコン」。山下達郎さんと松本隆さんによるこの2曲に、なぜか同じ「二秒」というフレーズが出てくる。


♪ AH 人生はたった二秒で AH 何もかも変わってしまう 
♪ 出会って2秒で降参する 


よく「一瞬で恋に落ちる」というけれど、たしかに恋に落ちるだけなら一瞬でできる。それを科学的に研究したデータがあって、「一目惚れ」をすると0.2秒で脳の12の領域にドーパミン、オキシトシン、エンドルフィンなんていう強い幸福感をもたらす脳内物質がかけめぐるのだそう。そう、どんな鈍い人でも1秒あれば恋の高揚感を感じることができる。
そしてもう1秒は、なんなんだろうと考えてみると、それは決断のためじゃないか。
合った視線のその先の人を運命と思って微笑みかけるか、「まさかね」と自嘲し踵を返すか。縁を信じるか信じないか。高鳴る胸の鼓動を信じるか信じないか。その二拍目の決断が人生の分かれ道、ということもある。


でも、「一期一会」というのも、「一生に一度きり」ということではなく、「一度かもしれない」だ。縁は「巡るもの」。一度手放しても縁さえあればまた巡り逢うこともある。
映画の「スライディング・ドア」は、閉まる地下鉄のドアに滑り込めた私Aと、乗り遅れた私Bのふたつの違った人生の物語。そのパラレルワールドが最後に交差したところで、私Aの失った恋に私Bが巡り逢う。
「エターナル・サンシャイン」の失恋の痛みを忘れたくて部分的な記憶除去の施術を受けた恋人たちは、お互い知らない同士としてまた出逢い恋に落ちる。
恩田陸の小説「ライオンハート」では、結ばれることはないが、何度も何度も生まれ変わっては時空を超えて巡り逢う一対の魂が描かれる。


縁とは「点」だと思う。別々の方向からやってきた人生が交差する、その「点」。
そこから今度は同じ方向へ進む一本の「線」になるか、また別方向へ分かれていくのか、あくまでも自分次第。それでも縁のある者たちは、何度すれ違い、別れても、どうしようもなく引かれ合っては巡り逢い、また恋に落ちる。
そう考えると、自分の人生は自分で決めているつもりでも、その奥に縁という抗えない力が働いていることは間違いないんだろう。


「いのちの最後のひとしずく」のあまりにドラマティックな物語に酔ったあと、NHK-FMの「今さらですが、突然キンキキッズ生放送」を聴きながらふたりの巡り逢いの奇跡にまた泥酔。人の縁というものについて、ぼんやりと考えた秋の夜長。


アルバム「NIPPON」の「縁を結いて」の解説にも、こんな一節があった。
「”縁”とは美しい運命の糸のようなもの。目には見えない。人と人が出逢った時、あたかも神によってふたりの魂がそこに運ばれてきた気がする。それが縁の導き。今日までの出会いのチャンスを与えてくれた、縁を今感じよう」