ユーロビジョン 2011


げぼげぼげぼげぼごほごほごほごほっ・・と、おっさんのような咳を撒き散らして犬にも逃げられてます。
いやー、季節の変わり目つーか、鬼のカクランつーか、熱は出るは咳は出るはの大風邪をひいてすまいますた。いよいよ「初ナマ剛」(インビな響き♪んふ)ってことでコーフンしてるのが老体には毒なのかもしれません。げほげほ。


そんなこんなですっかり忘れていましたが、今年も私の好きな「ユーロビジョン」の季節がやってきました。
正式にはEurovision Song Contest、1956年から毎年開催されているヨーロッパ最大の音楽コンテストで、あのABBAも74年にこれで優勝してブレイク。
今年は43カ国が参加、今週TVで公開準決勝があり、14日の決勝大会に進む25ヵ国が出揃いました。このコンテスト、局地的に盛り上がるだけなので日本ではほとんど知られてませんが、こっちではサッカーのヨーロピアン・カップと同じくらい出場国は国を挙げての大騒ぎとなる「愛国」イベントなのであります。


昨今の傾向としてはもう「ディーバ」一色。今年もヨーロッパの片田舎から出てきたおねえちゃんは皆揃ってマライア・キャリーかセリーヌ・ディオンかってな「歌姫系」。ここ5年くらいの音楽的グローバリゼーションの波は想像を絶する速さでヨーロッパの辺境を呑み込み、辺境であればあるほどアメリカ的なものに憧れが強いのか美人で歌のうまい=つまんねえ歌手を送り込んでくる傾向がある。一時は皆ブリトニー・スピアーズ系で、歌って踊れるミスコンみたいになってそれもどーかと思ったけど。


そんな中で私のお気には、ヨーロッパ最後の辺境(失敬)「モルドバ共和国」。
ルーマニアの隣にある旧ソビエト領の小国ながら毎年このコンテストに出場、辺境中の辺境のくせに大きな流れにおもねらないユニークなアーティストをぶつけてくる。もちろん彼の地にもグローバリゼーションの波は来ているのだろうが、私が惹かれるのは彼らの音楽はまだ根本のとこで頑固に民族のプライドを何者にも売り渡していない音がするところ。泥臭くてクレイジーで、音楽が神へ捧げるものだった頃の祝祭の音がするのだ。


グローバリゼーションで音だけでなく人の往来も激しくなり、その変化もユーロビジョンで感じることができる。例えば、今回のルーマニアの代表は結婚してルーマニア籍になったイギリス人男性で、曲は昔のエルトン・ジョンみたいなバリバリのブリット・ポップ。ノルウェー代表はアフリカ系の女の子のアフリカン・ポップ(?)。
そういうアーティストを自国の代表に選んだルーマニアやノルウェーのリベラルさは尊敬するけども、代表として出てる彼らの「愛国心」って一体どこへ向かうんだろうと思うことがある。生まれた国?民族?国籍?
最近はオリンピックやワールドカップを観ていても、選手の外観だけではどこの代表かわからないし、以前TVで観た卓球の国際大会ではカナダ対スペインが両方中国系の選手だった。・・・それって面白くなくない?単純に。
やっぱり国際大会というのは、愛国心と愛国心のぶつかり合い、武器をボールや楽器に置き換えた「代理戦争」なので、個人の名誉のためだけじゃなく、できればホンモノの戦争が起きたら「その国のためなら死ねる」人に参戦して欲しい。その方がやる方にも観る方にもエキサイティングなはず。


国としてのライバル意識、って日本は地理的なこともあって感覚的に分かり辛いかもしれないけど、地続きで長い戦いの歴史があるヨーロッパではそれがハンパでない。特に隣同士の国は今でもライバルと言うより憎みあっている場合が多い。
2006年のサッカーのワールドカップ決勝フランス対イタリアを私は大きな公園のパブリックビューで観たのだが、優勝が決まった途端イタリア人サポーターたちがフランス人サポーターたちに向かって始めたのは「コルシカ島返せーっ!モナリザ返せーっ!」の返せコールだった。


やっぱね、そうじゃないと面白くない。